榎本 剛 – Go Enomoto –

「習字」と「書道」は何が違う?──書は、黒で白を光らせる作業

「習字と書道って、何が違うんですか?」

 

書道を教えていると、よく聞かれる質問です。

 

たしかに、どちらも筆を持って、墨を使って、紙に文字を書く。

見た目だけなら、かなり似ています。

 

でも、結論から言うと、習字と書道は、似て非なるものです。

 

その違いを一言で言うなら、目的が違います。

 

習字の目的は、文字を正しく書けるようになること。

 

一方、書道の目的は、文字を使って表現することです。

そして、この違いを理解すると、書道作品の見方も大きく変わってきます。

 

 

習字は「正しい文字」を身につける

 

まず、習字について考えてみます。

 

習字、あるいは学校教育でいう「書写」は、

文字を正確に書くための学習という側面が強いものです。

 

書き順を覚える。止め・はね・払いを覚える。文字の形を覚える。

そして、誰が見ても読みやすい、正しい文字を書けるようになる。

これはとても大切なことです。

 

だから習字では、

「この字は正しく書けていますか?」ということが重要になります。

 

ところが、ここから書道の世界に入っていくと、少し話が変わってきます。

 

 

そもそも「正しい字形」って何だろう?

 

ここが、書道を考えるうえで非常に重要なところです。

 

私たちは普段、「この字が正しい形です」と、何となく思っています。
でも、少し歴史を振り返ってみると、字形は時代によって変化しています。

 

甲骨文字があり、金文があり、篆書、隷書、楷書、行書、草書がある。

 

同じ漢字でも、時代によって形はまったく違います。

 

つまり、今、私たちが使っている字形だけが、

歴史上の絶対的な正解ではありません。

 

今の字形は、あくまで「今の時代に一般的に使われている字形」です。

 

 

古典にも「唯一の正解」はない

 

では、書道で学ぶ「古典」はどうでしょうか。

書道では、昔の優れた書を「古典」として学びます。
「古典をお手本にして、正しく臨書しましょう」と言われることもあります。
すると、「古典に正解があるんだ」と思うかもしれません。

でも、これも少し違います。

古典そのものを見ても、同じ漢字の形が一つではありません。
時代が違えば違う。書体が違えば違う。書家が違えば違う。

同じ書家でも、作品によって違うことがあります。

つまり、古典の中にも「この形だけが正解」という唯一の答えはありません。

むしろ、さまざまな字形が存在している。それが書道の歴史そのものです。

だから私は、「正しい字形を一つ覚える」という発想だけでは、

書道の面白さは見えてこないと思っています。

 

 

字形は、極論どうでもいい

 

ここまで話すと、少し極端に聞こえるかもしれません。

 

でも私は、書道において字形は、極論どうでもいいものと思っています。

 

「どうでもいい」というのは、決して適当でOKという意味ではなく、

あくまで文字として成立していることは大前提です。
でも、字形を整えることは、作品づくりにおける最優先事項には当たりません。

 

なぜなら、字形そのものに絶対的な正解がないからです。

時代によって違う。書体によって違う。

書家によって違う。作品によっても違う。

 

だったら、書道作品を見るときに、

字形の正誤ばかりを気にするのは少しもったいない。

 

では、何を見るのか。

 

「余白」を第一に見るのです。

 

 

書で最も大事なのは「余白」

 

書道をあまりやったことがない人に作品を見てもらうと、

「きれいな字ですね」

「この字、上手ですね」

という感想がまず出てきます。

 

でも、書道を専門的に見ていくと、そこだけではありません。

 

むしろ、その字によって、どんな余白が生まれたのか。

ここを見る。

文字を紙のどこに置くのか。

どれくらいの大きさにするのか。

文字と文字の間をどれくらい空けるのか。

天地左右にどれくらいの空間を残すのか。

一枚の紙の中で、黒と白をどう配置するのか。

こうしたことを考えながら、書家は筆を動かしています。

 

私は、書というものを、

「黒で白を光らせる作業」だと考えています。

 

 

書は、黒で白を光らせる作業

 

紙に筆で墨を載せていく。

つまり、黒を広げていく。

でも、黒い線そのものだけが作品なのではありません。

 

黒い線を置くことによって、その周りにある白が際立つ。

白い空間が生きてくる。

そして、その白が生きることで、黒い線もまた生きてくる。

 

だから、黒が主役で、白が脇役というわけではありません。

 

黒と白のコントラストが。互いを引き立て合って、

一つの作品をつくっています。

 

だから私は、「どれだけ上手に黒を書くか」ではなく、

「黒を使って、どれだけ白を光らせられるか」という視点が、

書道では大切だと思っています。

 

これは同時に、書道作品は本来

誰でも評価することが出来るものであることを示しています。

 

なぜなら、白い部分が綺麗かどうかを判断するのに、

書道の専門知識は必要ないからです。

 

 

同じ字でも、余白が違えば作品は変わる

 

例えば「山」という字を書くとします。

同じ「山」でも、紙の真ん中に小さく置くのか。

大きく紙いっぱいに書くのか。

上に寄せるのか。下に沈めるのか。

右に寄せるのか。左に寄せるのか。

 

それだけで作品の印象はまったく変わります。

 

つまり、字が同じでも、余白が違えば作品は変わる。

逆に言えば、字形が多少違っていても、

余白や構成が成立していれば、作品として成立する。

 

これが書芸術の面白いところです。

 

 

「止め・はね・払い」も絶対ではない

 

ここで、習字を経験した人がよく気にすることがあります。

「ここは止めるんですよね?」

「ちゃんとハネないとダメですよね?」

「二度書きはダメですよね?」

 

これも、習字の価値観からすると当然です。
でも、書道では必ずしもそうではありません。

 

例えば「二度書き」。

 

習字では基本的に避けます。
子どもが二度書きすると、最初に書いた線を直そうとして、

どんどん崩れてしまうことが多いからです。

 

ところが書道には、「補筆(ほひつ)」という考え方があります。

 

一度書いた作品に必要な部分を補う。

それによって、作品を完成形に近づける。

 

つまり、二度書き=悪ではありません。

目的が違うのです。

 

習字では「正しく書く」ために避ける。

書道では「作品を成立させる」ために、必要なら補筆する。

 

これも、習字と書道の大きな違いです。

 

 

書道は「書いたもの」だけを見る芸術ではない

 

そして、ここが私が一番伝えたいところです。

書道で大切なのは、

自分が筆を動かして書いた黒い線だけではありません。

 

むしろ、書かなかった部分。

筆を置かなかった場所。墨を置かなかった場所。

何もしていないように見える白い部分。

そこまで含めて、一つの作品です。

だから私は、

「書道を見るときは、まず余白を見てください」

と言いたい。

 

字形を見るのは、そのあとでいい。

 

 

「上手な字」と「良い作品」は違う

 

ここまで話すと、

「じゃあ、字が上手い必要はないの?」と思われるかもしれません。

 

もちろん、技術は必要です。

線をコントロールする力も必要です。

古典を学ぶことも必要です。字形を知ることも必要です。

 

でも、それらは最終目的ではありません。
表現するための手段です。

 

どれだけ字形が整っていても、

作品全体の空間がつまらなければ、

プロの書家は「良い書」とは思いません。

 

逆に、字形が一般的な「正解」から少し外れていても、

「この余白、いいな」

「この構成、面白いな」

「この線だから、この空間が生まれているんだな」

と思わせる作品があります。

 

だから、

「字が上手い=書道が上手い」ではありません。

 

 

習字と書道は、どちらが上という話ではない

 

もちろん、習字が下で、書道が上という話ではありません。

 

習字は、書道という大きなものの中から、

教育の観点で一部を切り出したものという捉えです。

 

習字には、文字を正しく書くという大切な役割があります。

そして、その基礎があるからこそ、書道という表現の世界にも入っていける。

 

ただ、「文字を正しく書くこと」と

「文字を使って表現すること」は、目的が違う。

 

ここは分けて考えたほうがいいと思います。

 

習字は、正しい文字を身につける。
書道は、文字を使って、一つの空間をつくる。

そして、その空間をつくるとき、

字形は絶対的な正解ではありません。

 

今の時代の字形も、歴史の中の一つの形にすぎない。

古典にも唯一の答えはない。

だからこそ、書道では字形の正誤だけに縛られず、

「この一枚の紙を、どういう空間にするか」を

考えることができる。

その中心にあるのが、余白です。

 

 

書は観るときは、余白から

 

もし、これから書道作品を見る機会があったら、

ぜひ試してみてください。

 

まず、字を見ない。
余白を見る。

「この白は、きれいだな」

「この白があるから、この線が生きているな」

「この黒によって、この白が光っているな」
そんなふうに見てみる。

 

すると、今までとは違った書道の世界が見えてくると思います。

 

書道は、正しい字を書くためだけのものではありません。

今の時代に一般的な字形を再現するため

だけのものでもありません。

 

何千年という時間の中で、

さまざまな字形、さまざまな線、

さまざまな表現が生まれてきた。

 

そこに唯一の正解はありません。

だからこそ、書道は面白い。

 

字形に正解が一つではないから、表現できる。

そして、書いたものだけではなく、

書かなかったものまで作品になる。

 

だから私は、書をこう考えています。

 

書とは、黒で白を光らせる作業である。
「上手な字」を書くことだけが、書道ではない。
一枚の紙に、どんな世界をつくるのか。
その世界をつくるために、どこに墨を置き、どこを白く残すのか。

 

そこに、書道の面白さがあります。

 

 

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